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東北地方の旅

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T.N.インタ- は中国東北地方の入口と言われる、大連を起点に、瀋陽、長春、ハルビンはもちろん、集安、孫呉、ハイラル等、一般のツアーではあまり行かない、東北の奥地、辺境への旅も企画いたします。 又、ご親族が旧満洲で生活した土地や、旧日本軍が活動した場所も探し出してお連れいたします。 現在、高速鉄道が東北の各地をカバーしており、大変便利で楽しい列車の旅ができるようになりました。

※旅の目的地をクリックし、お進みください。

  1. 大連の旅
  2. 瀋陽の旅
  3. 丹東、北朝鮮を見る鴨緑江の旅
  4. 集安・長白山・延安の旅
  5. ハルビン・牡丹江の旅
  6. ハイラルの旅
  7. 旧日本軍の足跡を辿る旅順の旅
  8. 旧日本軍の足跡を辿る孫呉・ハルビン・ハイラルの旅
  9. 旧日本軍の足跡を辿る長春・東寧の旅

大連市内観光

中国一の親日の街であり、日本人にとって最も安全な街です。
現在も多くの日本人が住んでおり、日本の会社、工場も多くあります。
日本語を話せる人も多く、日本語学習も盛んです。

東北地方の海の玄関口、大勢の日本人がここを通って大陸に入り、又、引き揚げました。
現在はハイテク関係を中心に、多くの産業を抱える近代都市に変貌しましたが、まだ当時をしのばすものが多く残り、風光明媚で大変雰囲気のいい街です。
娯楽施設も充実しており、ショッピング、ゴルフ、釣り、温泉、エステ、マッサージ等々、旅行者を飽きさせません。
海に面しているので海の幸も豊富で、大変おいしい海鮮料理が食べられるところでもあります。

瀋陽の旅

瀋陽は東北最大の都市であり、東北地方の経済、文化、交通、及び商業の中心です。
瀋陽から東北各地に放射線状に交通網が広がり、瀋陽を中心に周辺衛星都市と瀋陽経済区を形成しています。

観光面でも、瀋陽は中国最後の王朝である清朝の発祥の地であり、清朝創成期の遺跡が保存状態よく残されていて魅力的です。
瀋陽故宮ならびに東陵(初代皇帝ヌルハチの墓)及び北陵(2代目ホンタイジの墓)はユネスコ世界遺産に登録されています。
旧名は奉天と言い、張作霖、張学良親子の本拠地で、満州事変が発生した場所でもあります。

そのように日本とも関係が深く、今でも日本が造った建物も残っています。
古い街で、ウイグル人街(回民街)や朝鮮人街があり、それぞれ本場の味が楽しめます。
郊外の本渓には本渓水洞と言う巨大な鍾乳洞があり、そこには地底湖があり船に乗って見学することができます。
瀋陽―大連間は頻繁に高速鉄道が運行しており、2時間足らずで行くことができます。

丹東、北朝鮮を見る鴨緑江の旅

丹東の街には鴨緑江が流れ、対岸はすでに北朝鮮です。
河には中朝友好橋(中朝友誼橋)がかかり、鉄道とトラックで北 朝鮮との交易が行われています。

その隣に日本が造った鴨緑江断橋があります。
朝鮮戦争の時、米軍の爆撃で破壊されそのままになっています。
今日でもその折れたところまで行くことができます。
ここは対岸の北朝鮮を眺める観光スポットになっており、北朝鮮を目の前に見ることができます。
遊覧船に乗れば より眼前に建物、兵士や民間人も見られます。

街は北朝鮮系の店や物産も多く、北朝鮮レストランでは歌謡や舞踏のショーも楽しめます。
河にそって少し遡れば、明代に造られた、万里の 長城の東端の虎山長城があります。
ここからは北朝鮮の農地が目前に広がります。
この辺りは鴨緑江の支流で、川幅が大変狭くなっており、数メートルのところもあります。
それでも国境です。
そこは一跨ぎで超えられるような近さなので、“一歩跨”と名付けられています。

更に遡り、丹東から40kmほど行ったところにも、日本が建設し朝鮮戦争で破壊された橋があります。
ここからは、北朝鮮の村が見渡せます。
遊覧ボートからは 村の様子もうかがえます、又、日本軍が造った堤防等も見ることができます。

大連北駅~丹東駅間、全長約290kmを結ぶ「丹大高速鉄道」が2015年に開通いたしました。
所要時間は片道約2時 間弱です。
それまで大連~丹東間に直通列車がなかったので、この鉄道を利用すれば大連から丹東への旅行も容易にできるようになりました。

集安、長白山、延吉の旅

丹東から鴨緑江を遡ると古代の高句麗の都、集安があります。
市街は当時作られた城壁に囲まれ、郊外には多くの古墳があります。
その中には、一辺が32m、高さが12mに及ぶ巨大な“将軍墳”や、高松塚古墳に影響したであろう壁画が描かれた“禹山貴族墓地”もあります。
そこにある有名な5世紀の碑文、好太王碑には日本に関する記述も見られます。
これらはユネスコ世界文化遺産に登録されています。

更に鴨緑江を遡ると、朝鮮民族にとって神聖な山、長白山があります。
高度2,744m、鴨緑江と図們江の源で、火口には透明度が高く青色に澄んだ天池があります。
そして周囲には渓谷や瀑布があり、高山植物が咲きほこり、素晴らしい景観を呈しています。

さらに北東に行くと、朝鮮族の街、延辺朝鮮族自治州の州都、延吉があります。
ここはすでに鴨緑江でなく、図們江(豆満江)の流域となります。
至る所朝鮮語が話され、看板は中国語とハングル語で書かれています。
多くの朝鮮料理店があり本場の朝鮮料理を味わえます。
それだけでなく、名産のキノコ、朝鮮ニンジン、日本海海産物、朝鮮食材や、それらが販売される活気ある市場や朝市など大変興味深い街です。

郊外の街、龍井には前世紀はじめ、日本が間島領事館を設営しました。
当時、この地域は間島と呼ばれ、日韓併合後の抗日運動が激しい所で、その領事館は今も残り、地元政府の建物として使われています。
延吉―瀋陽―大連間は高速鉄道が運行され、大連からは6時間程度で行くことができます。

ハルビン・牡丹江の旅

ハルビンは黒龍江省の省都で、市区人口約590万人、黒龍江省の政治・経済の中心です。
気候は、夏と冬の温度差が非常に大きい顕著な大陸性気候で、1月の平均気温は-18.6度と世界の大都市の中では最も寒い部類に入ります。
19世紀の終わりに、ロシアにより満洲を横断する東清鉄道の建設が着手されると、交通の要衝として経済の発展がなされました。
満洲事変以降太平洋戦争の終戦まで満洲国の統治下でした。
1909年に伊藤博文が安重根に暗殺されたのはこのハルビンの駅頭で、駅近くには安の記念館が設置されています。

この中国最北の省都ハルビンは、ロシアの影響を強く受けた美しい街です。
街には次のように見ものが多くあります。
昔の建物が立ち並ぶ中央大街、 美しいロシア正教の教会、聖ソフィア大聖堂、虎が目の前で肉に飛びつく光景が見られる東北虎林園、郊外にある11世紀に金を建国した初代皇帝の墓、金太祖陵等々。

冬には有名な氷雪祭りが開かれます。
市内の幾つかの会場で雪と氷の巨大な彫像がたくさん造られます。
夜にはカラフルにライトアップされ、華やかで幻想的な素晴らしい光景を見ることができます。

牡丹江の歴史は短く、満州国の誕生以降、鉄道の施設や日本人らの入植、投資によって発展しました。
終戦とともに日本人は引き揚げましたが、当時の建物が現在でも残っています。

又、付近の寧安市には、7~10世紀にこの地域一帯に勃興した大国、渤海国の首都、上京龍泉府の遺跡があります。
その近くには清代に渤海国の寺院跡に造られた興隆寺があり、中に渤海国時代に製作された石仏と巨大な石灯籠を見ることができます。

ハイラルの旅

ハイラルの属するフルンボイル市は中国の内蒙古自治区の最北に位置し、北と西はロシアに、東は黒龍江省に接しています。
フルンボイル地方は遊牧に好適な草原地帯であり、匈奴、鮮卑、キルギス、契丹など古来さまざまな遊牧民が興亡しました。
モンゴルの隆盛により成立したモンゴル帝国、そしてその後の北元ではフルンボイルは重要な拠点となりました。
17世紀に清朝の支配下となり、20世紀の初期に満洲国の成立で満洲国に編入されました。

終戦による満洲国の崩壊後、中国の内蒙古自治区の一地域となりました。
気候は内陸性のため冬季の寒さは厳しく、1月の平均気温は-25度以下となります。
ハイラルはフルンボイルの中心都市で、郊外には大草原が広がります。
草原にはゲル等に泊まれる宿泊施設があり、そこでは週末に歌や踊りが催され、草原での生活を味わうことができます。

ハイラルは1930年代から1945年にかけて旧日本軍によって対ソ最前線基地として重視され、大規模な要塞が造られました。
現在、その一部が世界反ファシスト戦争ハイラル紀念園の中で公開されています。
要塞の内部も見学でき、当時のなまなましい施設を見ることができます。

旧日本軍の足跡を辿る、旅順の旅

大連市のお隣のこの街は、日清戦争、日露戦争で日本にとって歴史的戦場になった所です。
日露戦争の激戦地である203高地、東鶏冠山堡塁、ロシア軍のステッセル司令官と乃木大将が会見した水師営会見所、伊藤博文を暗殺した安重根が死刑前に収容されていた旅順日露監獄など、旧跡も多く残り当時をしのばせます。

日露戦争終了後、連合艦隊司令長官の東郷平八郎と陸軍第三軍司令官の乃木希典が、戦死した日本兵の慰霊のために建てた白玉山塔からは、旅順港や新旧旅順の街を一望できます。
又、旅順博物館には、西域を探査した大谷探検隊が持ち帰ったミイラや、古代からの貴重な品々が展示されています。
旅順は中国軍の軍港があり、多くの場所は外国人の立ち入りが禁じられていましたが、近年、軍港周辺数ヶ所を除き解放されました。
公園が新設されたり、大連市内より幾つかの大学が移設されたりしており、軍港でありながら、静かで落ち着いた雰囲気の街です。

旧日本軍の足跡をたどる、孫呉・ハルビン・ハイラルの旅

孫呉は関東軍の大きな駐屯地だったところで、一時は10万人が駐屯していました。
周辺には記念館となっている軍人会館や抗日記念館のほか、空港、酒保、発電所、神社などの遺構が残っております。
中心地であった北孫呉の街は、今は農家や農作物の倉庫などがあるだけですが、当時の建物の基礎がまだ多く残っています。
郊外の山々には終戦時、侵入して来たソ連軍を迎え撃った香取山、二宝山等の陣地が多数あり、今でも塹壕跡やトーチカを見る事ができます。

又、車で一時間弱のロシア国境を流れるアムール川の手前には、対ソ連用に造られた本格的な勝山要塞があります。
博物館の他、地上に出た大きな兵舎跡や長い地下室、トーチカ、高射砲台などソ連との闘いに使われたままの、生々しいい姿を残しています。

ハルビン郊外には、有名な731部隊の遺構が残されています。
広い敷地には記念館が立ち、部隊の所業や当時の状況を詳しく解説しています。
その周りには修復された本部の建物や、日本軍が退去の際破壊した施設の残骸などが見られます。
その中には毒ガス製造、貯蔵施設もあります。

ハイラルにも対ソ連用に造られた大規模な要塞が、保存状態よく残っています。
以前のままの生々しい地下室内部を歩け、当時の様子が実感できます。
そのほか、当時の物品や写真、ジオラマ等を見る事ができます。

旧日本軍の足跡を辿る、長春・東寧の旅

長春は吉林省の省都で、市区人口約360万人、省内の政治、経済、文化の中心です。
27の国立大学と多くの研究機構を持つ学園都市です。
市内には長春第一自動車製造工場と長春映画製作所があり、中国における自動車工業と映画製作の拠点となっています。

1932年から1945年まで新京と呼ばれ満州国の首都でした。
街には日本風建築を取り入れた政府、国会、関東軍関係の建物が多く残り、当時の面影を残しています。
この街にある偽満皇宮博物院は、関東軍の傀儡政権であった満洲国の宮殿です。
清朝最後の皇帝であった漙儀がこの満洲国の皇帝となり、生活し、政務をとった所で、当時のまま保存されています。
米映画ラストエンペラーの撮影にも使われた所であり、必見です。

東寧はロシア国境の街、绥芬河(スイヘンハ)の南50kほどのところにあり、日本軍の要塞跡があります。
内モンゴルのハイラルから東のロシア国境沿いに造った多くの要塞の中で最大のものです。
その一部の勲山要塞の地下の設備は当時のままよく残っており、見学することができます。
要塞の外には博物館もあります。
ここは終戦時、第二次世界大戦最後の戦いとなった、ソ連との戦いがおこなわれました。
博物館前にはその旨彫られた、碑があります。

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