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シルクロードの旅

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シルクロードMAP

シルクロードは西安を出発し、甘粛省の河西回廊を西北に進み、嘉峪関を経て新疆ウイグル自治区に入る。敦煌のあたりで三つのルートに分かれ西進し、パキスタンや中央アジアの国へと続く。シルクロードの大きな部分を占める新疆ウイグル自治区と甘粛省は、多くの遺跡旧跡、興味深い人々やその文化、素晴らしい景色等を有し、シルクロード観光のハイライトです。

天山北路

敦煌または少し手前の安西から北上し、ハミまたはトルファンで天山南路と分かれてウルムチを通り、天山山脈の北麓沿いにイリ川流域を経てサマルカンドに至るルート

天山南路

敦煌からコルラ、クチャを経て、天山山脈の南麓に沿ってカシュガルに至り、そこからパミール高原に達するルート。最も重要な隊商路であった。

西域南路

敦煌からホータン、ヤルカンドなどタクラマカン砂漠南縁のオアシスを辿ってカシュガルに至り、そこからパミール高原に達するルート。最も古い隊商路だが危険で過酷なルートではあった。

シルクロードの出発地、いにしえの都、長安(西安)

西安 シーアン

陝西省の省都で人口796万人。中国西北部の政治、経済の中心地であるとともに、国内外から多くの観光客が訪れる観光都市である。
前漢や唐をはじめとし、長安の名で古代の多くの王朝の都となった。
また、シルクロードの起点として、この地から玄奘三蔵、張騫、霍去病などの名僧や英雄が旅立った。
そして多くの文化や物産がこの街と西域やインド等の間を往来し繁栄をもたらした。
都でなくなってから以降も、近世では西安事件の現場になるなど、中国の歴史の表舞台となっている。
下記に代表される素晴らしい名所旧跡も多く残っており、世界中からの観光客を魅了している。
壮大なスケールで秦の威容を今に伝える秦始皇兵馬俑博物館//古代の逸品を展示する陝西歴史博物館や碑林博物館などの多くの博物館//玄奘が仏典の翻訳に励んだ大雁塔(慈恩寺)//壮大な高宗と則天武后の乾陵(墓)、及び宮廷生活を描いた素晴らしい壁画のある副葬墓//仏舎利(釈迦の遺骨)と黄金の仏具を有する法門寺//明代に造られた、街を取り囲む城壁と鐘楼や鼓楼//等々

また、この街は日本との関わり合いも深く、遣隋使や遣唐使などここから多くのものを持ち帰り、日本に多大な影響を与えた。
高名な阿部仲麻呂や空海もこの地で活躍した。

西安の名物料理はいろいろな種類の餃子を食べる餃子宴、幅広の麺のビャアンビャアンミェン、灌汤包(ガンタンバオ 大きな小籠包)、肉夹馍(ロオジャーモー 肉や野菜をはさんだ焼きパン)、羊肉泡馍(ヤンロウパオモー 回族のパンを入れた羊スープ)等。
みんな比較的日本人の口に合い美味。

甘粛省の省都 蘭州(ランシュウ)、 万里の長城最西部の関所 嘉峪関(カヨクカン)

■■蘭州 (ランシュウ)

蘭州は、甘粛省の省都で、古くから河西回廊から西に繋がるシルクロードや青海方面への要衝都市であった。
近年は石油精製や鉄鋼などの工業都市として発展してきた。
街は黄河が走り、それにそって細長く伸びている。
人口は300万を超える大都市である。漢族に次いで回族が多く、他の少数民族も含めイスラム教徒が多い。
ここには有名な炳霊寺石窟と甘粛省博物館があり、主な観光スポットとなっている。

■炳霊寺石窟:蘭州から100kmほど離れたところにあり、バスとボートを乗り継いで行く。
切り立った崖に2kmにわたり石窟が彫られ、素晴らしい仏像や壁画を見ることができる。
それらの石窟と回りの神秘的な眺望は一見の価値が有る。

■甘粛省博物館:武威にある後漢時代の墳墓から出土した銅製の銅奔馬がある。
生き生きとし、しかもバランスのとれた姿は最高傑作とされている。そのほかにも多くの素晴らしい展示物を見ることができる。
蘭州は中国中で人気のある牛肉麺の本場。街にはいたるところ牛肉麺の店があり、大変美味。

■■嘉峪関 (カヨクカン)

嘉峪関は万里の長城の最も西にある関所。
モンゴル族の侵入を防ぐため、明朝の時(14世紀後半)に造られた。
最東端の山海関と共に万里の長城の要衝であった。
万里の長城の関の中で唯一当時のまま残されている建造物である。
山海関が「天下第一関」と称されるのに対し、嘉峪関は「天下第一雄関」といわれる。
その優美で雰囲気のある楼閣はシルクロードのシンボルの一つとなっている。

嘉峪関付近には更に下記の観光スポットがある。
■懸壁(ケンペキ)長城:険しい山を這うように造られた長城。
斜面は大変急だが、頂上まで行けばそこからは付近にあるオアシス等の素晴らしいパノラマが見られる。

■万里長城第一墩(トン/物見台):西の端にある長城跡。北大河の絶壁の上にあった。
今は、断崖にせり出したガラスのテラスがあり、真下の眺めは身がすくむようである。

■魏晋(ギシン)壁画墓:魏晋期(220~419年)の墳墓群。
墓室の壁面には被葬者の生前の生活が、生き生きとしかも鮮明に描かれている。

シルクロードの一大要衝の地、仏教美術の宝庫 敦煌市(トンコウ)

敦煌は甘粛省の西北端にあり、古くから中国と西域の出入り口であったオアシス都市。
気候は他のオアシス都市同様乾燥しており、夏は暑く冬は寒い。人口14万人。
歴史的には、月氏、匈奴の支配の後、紀元前1世紀頃漢の領域になり、西域に対する軍事上の重要な最前線基地となった。
以降、中国王朝や周辺他民族の支配を受けた。
しかし一貫して東西交易の集散地であり、シルクロードの要衝として繁栄した。
そして莫高窟に代表される素晴らしい仏教文化が花開いた。
莫高窟は岩山に1000年にわたって造られた石窟群で、そこにある壁画や像は質、量とも素晴らしく、壮大な仏教美術の宝庫である。
また、そこで発見されたおびただしい量の貴重な文献は、敦煌文書として有名である。

敦煌観光の一言アドバイス。
莫高窟:前もって市内でチケットを買って行くことが必要。見学は日本語のガイドが付く。
見学する窟は決まっておらず、ガイドが任意に決めるので、希望を伝えると問題なければ見学させてくれる。
また、特別窟は追加料金を取られ高いが、他のものに比べ優れており、幾つか見る事をお薦めする。

鳴沙山、月牙泉:敦煌市内のすぐ外にある砂漠と寺院。砂漠のスケールは大きく迫力満点。
ここでの一番のお薦めはラクダの試乗。
100元程度で砂漠の中を1時間以上も乗ることができる。ラクダはおとなしく、乗り心地はたいへん良い。

街中の商業一条街、沙州市場:街の中心にあり土産物の露店やシシカバブ等のレストランが並ぶ一帯で、夜の9時頃から賑やかになる。
夏は気温も下がり乾燥して気持ちがよい。
シシカバブの店でもビールが飲め、いろいろな料理が食べられる。
敦煌の夜を楽しめるところである。(西域ではシシカバブの店はウイグル人の経営で普通酒類は飲めない。)
この他、敦煌の周辺には素晴らしい観光スポットが多くあり、シルクロードを体感できる。

葡萄と遺跡のオアシス都市 吐魯番市(トルファン)

人口58万人でウイグル人が約70%を占める。
新疆ウイグル自治区中部、天山山脈東部のトルファン盆地にある。
このトルファン盆地は中国でも最も低地にあり、1年を通して非常に乾燥している砂漠気候である。
低地のため夏は大変暑い。そのため、かつては火州と呼ばれていた。
しかし乾燥しているため、夏でも日陰に入れば比較的しのぎやすい。
一方、冬の寒さは厳しい。又、砂漠気候なので1年を通し風も強い。

昔からシルクロードの天山北路と天山南路が交わる地にあり、軍事的にも商業的にも重要な地域であった。
歴史的には、紀元前2世紀頃、車師人が交河故城を王城としてこの地で生活していた事に始まる。
前1世紀には、前漢がこの地で高昌城を造り屯田を行った。
そして、5世紀に漢族が高昌国を造る。
その後、この高昌国は支配者が変わるも繁栄した。
この時(7世紀)玄奘が来て高昌国の援助を得てインドへ求法の旅に出た事は有名。
その後、7世紀に唐が侵入して高昌国を滅ぼし、ここを西域経営の拠点とした。
そして、唐の衰退により9世紀に天山ウイグル王国の支配下に入る。
この時代に高度な仏教文化が花開き、最盛期を迎えた。
その後13世紀にモンゴル、17世紀末には清朝の支配下となった。
経済は観光以外では農業が中心。
特産品としてブドウ、綿花、ハミウリ。特にブドウの産地で知られ、8月末にブドウ祭りが開かれる。

主な観光地:交河故城、高昌故城、ベゼクリク千仏洞、火焔山、アスターナ古墳群、蘇公塔、カレーズ博物館、葡萄溝、トルファン博物館等がある。

新疆ウイグルの中心地砂漠の中の大都会 烏魯木齊市(ウルムチ)

ウルムチは天山山脈の北麓のジュンガル盆地の東南縁に位置する。
新疆ウイグル自治区の首府で、政治・経済・文化の中心である。
人口約250万人、漢族、ウイグル族、カザフ族等42の部族が暮らしている。
周りのどの海からも2,300km以上離れているので、「海から最も遠い都市」として有名。
1日の気温差が大きい内陸性乾燥気候で、一年中乾燥しており、雨はほとんど降らない。
夏は日中暑いが、朝晩は気温が下がる。冬は非常に寒く-30℃以下になることもある。

歴史的には、古くから遊牧民族の生活圏であったが、前漢時代に西域都護府が置かれ、始めて中国王朝の支配下となった。
中国王朝の権力が弱まると、遊牧民族が領土を奪い返し、独立国家を作るということが繰り返された。
明代にモンゴル族オイラートがジュンガル国の中心としてこの地に築城すると、都市として発展した。
その後、清の支配に入り、1880年代に新疆省が設置されてその省都となった。
清末の混乱期を経て、中華人民共和国建国後は西域の拠点として開発が進み、工業都市に発展した。
ウルムチという言葉はジュンガルの言葉で「美しい牧場」を意味する。
これが1955年の新疆ウイグル地区の成立に伴って正式な市名となった。

観光の主なスポットとしては下記がある。

■天池
ウルムチの北東約100km、天山山脈のボゴタ峰の中腹にある湖。
万年雪の山々の下、周囲の緑とエメラルドグリーンの湖水の眺望は素晴らしい。
周辺にはカザフ族の移動用住居キーグズイがあり、宿泊や食事、乗馬もできる。

■新疆ウイグル自治区博物館
シルクロードの多くの優れた遺物を展示している。
楼蘭遺跡で出土した有名な三千八百年前のミイラ、「楼蘭の美女」もここにある。

■南山牧場
ウルムチの南約70km、天山山脈北麓にあるカザフ族の牧場。
牛や羊が草を食む牧草地で滝などもある。
キーグズイが立ち、乗馬もでき、カザフ族遊牧民の生活を見る事ができる。

■国際大バザール、二道橋バザール
シルクロードのバザールの雰囲気を十分味わえる。

古代オアシス都市国家亀茲国歌舞の郷 庫車市(クチャ)

クチャ(庫車)は 天山山脈南麓、タリム盆地北縁、新疆ウイグル自治区中部にある。
人口40万人。温帯大陸性気候。夏は暑く、最高気温は30℃を超える。
一方、冬の寒さはかなり厳しく12月、1月の平均気温は-5℃以下になる。
乾燥しており、晴れの日が多く、中国でも年平均晴天日数が最多である。
天山山脈を越えて北部に繋がる街道と東西を走る天山南路を結ぶ交通の要衝である。

歴史的には、ここで古代に亀茲国(キジコク)が栄えたことが有名である。
前漢の頃に出現し、以降、漢や唐など多くの国に朝貢したが、西域の重要都市として10世紀頃まで繁栄した。
また、後漢時代には西域都護府が、唐代には安西都護府が置かれ、西域経営の拠点となった。
このように、この亀茲国を含めクチャは常に中国の王朝と匈奴やモンゴル等周辺民族との間で翻弄され続けた。
しかし、このオアシス都市国家はシルクロードの要衝として仏教東進の重要な足跡を残した。4世紀に仏典を漢訳した高僧、鳩摩羅什の母親は亀茲国の王族であった。
住民の大多数がウイグル族の街で、昔から伝わる歌舞や、郊外の仏教石窟や城跡等の古い遺跡が当時をしのばせる。
経済では、近年、タリム盆地に埋蔵される、石油、天然ガス、石炭、岩塩などの開発、輸送基地となっている。

主な観光スポット:スバシ故城、キジル千仏洞、クムトラ千仏洞、クズルガハ千仏洞、
クズルガハ烽火台、クチャ大寺、天山神秘大峡谷

軟玉の産地 和田市(ホータン)、さまよえる湖ロプノール 若羌市(チャルクリク)

■■ホータン(和田)

ホータンはタリム盆地の南で、タクラマカン砂漠と崑崙山脈の間にあるオアシス都市。
他の西域の街同様、乾燥していて、夏は暑く、冬の寒さは厳しい。
人口は33万人で80%以上がウイグル族。
古代では于闐(ウテン)と称され、シルクロードの要衝であった。

古くから白玉の産地として有名で、世界各地に輸出し繁栄した。
今でも、ホータンの特産品として販売されている。
白玉と同様に絹布や麻布も古代からの特産品である。
古代、ホータンは養蚕を知らなかった、そこでホータンに嫁ぐ中国の王女が門外不出の蚕と桑を持ち込んだ伝説は有名である。
絹織物はいまでも主要な産業であり、ウイグル族の織る絹織物は人気が高い。

絨毯も古くからの特産品である。
高い価値を持つ重要な品で、現在もアジア、ヨーロッパやアメリカに輸出されている。
主な観光スポット:マリカワト故城、ホータン博物館、バザール、ホータン東方民族絨毯廠

■■チャルクリク(若羌)

タクラマカン砂漠の東南縁部にある小さな街で、人口3万人。
有名な「さまよえる湖」ロプ・ノール湖畔にあった楼蘭国(紀元前2世紀~7世紀)の場所にある。
楼蘭国は西域南道の要衝として繁栄した。
しかし4世紀頃に湖が干上がり、その頃からこの国も衰退してやがて消滅した。
この楼蘭国には下記の二つの遺跡があり、チャルクリクから行くことができる。

・ミーラン遺跡:1907年に英国人スタインにより発見された。
仏教寺院跡と思われるが、城郭も持っている。
西洋文化の影響がみられる著名な壁画「有翼天使像」が発見された。

・楼蘭古城:1900年にスウェーデン人ヘディンにより発見された、楼蘭国の都クロイナの城跡。
水路、住居跡、仏塔、烽火台、古墳群等が残る。3800年前のミイラ「楼蘭の美女」が発見された。
尚、両遺跡とも見学には、チャルクリクの楼蘭博物館にて申請し、旅行許可証代を支払うことが必要。

砂漠に刻まれた信仰と興亡の歴史 喀什市(カシュガル)

カシュガル (喀什)は古くからシルクロードの要衝として、またイスラム教の拠点都市として発展した。
人口は22万人で、その80%はウイグル族など少数民族が占める。
タクラマカン砂漠の西端で、天山山脈の麓に位置する。天山南路と西域南路はここで合流し、パミール高原を越えてインドへ、あるいは西北に路をとるとタシケント、サマルカンドへと続く。
このように、昔からシルクロードの交通の重要地点であった。
高地で土地は肥沃であり、モモ、ブドウ、イチジク、アンズなどの果実を産出する。

気候は砂漠気候に属し、一年を通じ大変乾燥している。夏は暑く日中は30℃を超し、一方冬は1月の平均気温が-5℃程度になり、寒さはかなり厳しい。
歴史的には、2千年以上前の前漢時代に初めて疏勒(ソロク)国として登場する。
漢、匈奴、唐などの支配を経て9世紀にウイグル人が大挙侵入した。
そして10世紀にカラハン朝の成立で、ウイグルとイスラムの特徴が確立した。
その後、幾つかの王国の支配の後、18世紀清の支配下に入った。
そして清末の混乱の後、中華人民共和国のもとでカシュガル市となった。

主な観光地はエイティガール寺院、アパク・ホージャ墓、大バザール、班超紀念公園、ユスフ・ハズ・ジャジェブ墓等。
エイティガール寺院周辺はウイグル族居住区で、礼拝に集まる人々や、商店の並ぶ路地は昔ながらのウイグルの雰囲気を漂わせている。
そこでは、生活用具や楽器を造る店(職人街)やウイグル特有のレストランが多く集まり、歩いていてウイグル文化に触れることができる。

カラコルムハイウェイ 塔什库尔干市(タシュクルガン)

塔什库尔干(タシュクルガン)はカシュガルからさらに西にパキスタン国境に向かい、車で5時間ほどのところにある街。
世界の屋根、パミール高原の東部にあり、高度は3千メートルを超える。
気温は低く夏はしのぎ易いが、冬は平均最低気温が-15℃以下になり厳しい寒さとなる。

人口3万人程度で大多数がタジク族。
シルクロードのオアシス都市として蒲犂(ホリ)国の名で漢のころから知られていた。
市内には約1千3百年前に築かれた王城の石頭城が有り、街のシンボルとなっている。
そこからの周囲のパミール高原の眺望は素晴らしく、旅行者を魅了します。

カシュガルからタシュクルガンまでの路はカラコルムハイウエーの一部で、素晴らしい景観を呈します。
7千メートル以上のムスターグ・アタとコングール山の山裾で、峻嶺な山々と雄大な高原、深く険しい谷間など、次々に視界に現れます。
それらの迫力と眺望は素晴らしいの一言に尽きます。

途中にある、7千メートル級の山々をバックに静寂さを漂わすカラクリ湖と、周囲を砂で囲まれた神秘的なボロン湖も絶景です。
所々にあるゆるやかな河沿いでは、遊牧民のテントや放牧されている羊、ラクダ、ヤクが目を楽しませてくれます。

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